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あの世に聞いたこの世のしくみ

 
ごくフツーのサラリーマンがうつ病による記憶障害になり、キツーイ薬を飲んだら突然守護霊と話ができるように、絶妙なたとえを使ってこの世のからくりを教えてくれる。
苦しみが生まれる仕組み、その苦しみから自分を解き放つ方法など、そんな秘密をあなたも知りたくありませんか?

1.「この世」は「あの世」の一部
自分の思いそのものが、自分の現実を創るという法則
自分が何かを考えると、宇宙がその考えを反映し現実を創りだす(基本法則)
夢や希望は追い求めてはいけない、引き寄せるのだ!
(「○○が欲しい」と思えば思うほど
「○○が欲しい」現実が創りだされるので
○○がない現実となってしまう)
☆「○○が欲しい」という欲望は、「○○が足りない現実」を創りだしてしまう。
一方、「○○に近づいている」という自信・確信は、「○○が近づく現実」を引き寄せることになる。

2.この世は魂の訓練所
私たちは魂のグループの一員であって、その魂を浄化するためにこの世に生まれてくる。
(魂の浄化は、痛み・苦しみ・快感・喜びを感じられるこの世でしかできない。だからそれらを感じることができる肉体(脳)が必要となる)

3.人生は学校みたいなもの
入学(誕生)して、卒業(他界・死)する
「あの世」と「この世」は別物ではない。「社会」という枠組みの中の一要素に「学校」があるように、「あの世」という枠組みの中の「この世」なのだ。

4.自我と真我
エゴ・自我(幻想の自分)その正体は「固定化された思考」様々な思い癖の集積 
真我(本当の自分)命という存在そのもののありのままの姿で、エゴ(固定化された観念)の壁に阻まれその輝きを発揮できない
しかし、これは間違い!
なぜなら
この真我も個である以上「真我のふりをした自我」となる
自我(エゴ)とは自分を守ろうとして、自分で作り上げた防護壁に過ぎない
自我(エゴ)という名の壁がなくなったとき
壁の内にあった「空間(本当の自分)」と、壁の外にあった「空間(大いなる存在)」が一つになり、存在本来の姿(全体)になる。
”自分”の意味が自我(分離)から真我(統合)へ逆転する。これがワンネス(存在の全てはあなただ)の意味となる

5.マトリックス
私たちが生きているのは「現実」ではない。映画と同じようにマトリックスが描き出した「仮想現実」に過ぎない
我々が今見ているのは「ありのままの世界」ではなく、脳によって書き換えられた「ゆがめられた世界」なのだ。
(最新の脳科学でもそれが指摘されている)
自分の本当の姿(真我)を忘れ、人生という物語のなかで、「自分」というキャラクターを演じているに過ぎない。目の前になる状況に自分本位で意味をつけ、その自分でつけた意味に一喜一憂しているのだ。あなたが幸せを感じられないのは、ただ自分が幸せであることを認めてないだけなのだ。
しかし自我は
「自分がいかに幸せじゃないか」という理由を探し出し、自分の不幸を継続させようと必死になる。そうでないと自我(エゴ)の存在意義がなくなってしまうから。
大事なのは「幸せになること」じゃない
  「幸せであること」なのだ!
本当の幸せは、「いま」の中にしか存在しない。「過去」も「未来」も幻想(マトリック)だからね
「いま」から目を背けている以上幸せを見つけることはできない
「いま」を受け入れない限り幸せを感じることはできないのだ!
 
読みなおしてまとめたものです。
 
お勧めの本なので、よかったら読んでみてください。

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般若心経の解説


般若心経の超訳本いくつかもあるんだけど
自分なりの解釈に基づいて解説してみますね
(過去に書いたものを一気にまとてます)
 
特に「空」の解釈を量子力学的に考えると納得がいく。といういのが自分の独特なものだと考えています。
 
仏教学者の多くは科学的解釈はなじまないと言いますが、私は違うと思っています。
 
というか、真にこの般若心経の内容が、最先端の理論物理学と同じことを言っているので
本当にスゴイと思うわけなんです。
 
漢文の知識があればある程度の語順が理解できると思います。
(英語と同じ構造なので、動詞が先に来て目的語等が後にくる)
 
①観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
 
 (かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみたじ しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく)
観自在菩薩 → 観音様のこと 観世音菩薩と同じ
行深○○時 → ○○を深く行をした時
↓ 
波羅蜜多 → サンスクリットのパーラミータの音訳
六波羅蜜と言われるように6つの行を表す
布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)
 
照見 → 分かる
 
五蘊 → 5つの包むもの = 人体を構成するもの
色、受、想、行、識
色 → 物質(色のついたもの)
受 → 感受作用の受
想 → 想念の知覚作用
行 → 行うこと 意思の作用とも
識 → 認識のこと
照見五蘊皆空 → これらすべてが空だと分かる
 
度 → 度す = 渡す 
 
迷いの此岸(しがん)から悟りの彼岸へと人々を渡す
度一切苦厄 → 一切の苦厄から救われる 
 
  観音様が六波羅蜜を深く行なされた時、
 すべての物は空だと分かったので、一切の苦厄から救われた。
 
②舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是
 
 (しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき
じゅそうぎょうしき やくぷにょぜ)
 
舎利子 → 仏陀(お釈迦さま)の弟子の一人(智慧第一人者)
 
色不異空 空不異色 → 物質は空に異ならず、空は物質に異ならない
色即是空 空即是色 → 物質は即ち空であり、空は即ち物質である
受想行識 → 五蘊のうちの色以外のもの
亦復如是 → 亦(また)、復(また)、如是(かのごとく)
 
  舎利子よ 物質は空であり、それ以外のものも全て空なんだよ
 
こういう意味になるのですが、どうでしょうか?
 
 
ここでいう「空」は量子力学でいうところの「量子的ゆらぎ」になると思います。
 
空間で極小時間に量子(素粒子など)が現れたり消えたりを繰り返しているので、結果的には相殺されていゼロであるが、ある瞬間においては無限大の エネルギーが存在しうるというわけなんです。
 
何もないと思っている空間で、量子は極小時間においては現れたり消えたりしている
 
この量子(素粒子)が物質を構成している最小単位なのだから、何もない空間にそれが常に存在していることになる。だから
「何もない=何でもある」といえるのではないでしょうか?

量子力学では物質の最小単位の量子は、粒でもあり波でもあり、かつそれが確率的にしか存在しなくて、観測されて初めてその存在が分かるみたいなものなんですよ

なんか禅問答みたいですが、これが最先端の物理学で分かってきてることなんですよね
 
量子力学に全く縁のない人にお勧めの本(マンガ)
「ねこ耳少女の量子論」
があるので是非読んでみて欲しいです。
最近ではYouTubeでも分かりやすいのがありますよ。私のブログでも紹介してますので、よかったら参照してみてくださいね。
 
この後も
すべては無であるが故に執着してはならないことを、繰り返し表現を変えて説明していきます。
 
③舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
 (しゃりし ぜしょほうくうそう ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)
 
 舎利子よ 是の諸々の法は空相なり 
 生せず、滅せず、垢(けが)れず、浄(きよ)からず、増すことなく、減ることなし。
 
④是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界
 (ぜこくうちゅうむしき むじゅそうぎょうしき むげんにびぜつしんい むしきしょうこうみそくほう むげんかいないしむいしきかい)
 
これゆえに 空中に色も受想行識もない(五蘊がないと一緒)
六根 → 眼 耳 鼻 舌 身 意 
六境 → 色 声 香 味 触 法
六識 → 眼界 ~ 意識界 
(乃至)は〜を表してます

この上と下が多それぞれ対応していて
この世の現象のすべては五蘊、六根、六境、六識が、網の目のように絡み合って存在しているのである。
 
⑤無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
 (むむみょう やくむむみょうじん 
ないしむろうし やくろうしじん)
 
無明もない また無明が尽きることもない
~ 老死もない また老死が尽きることもない
 
12縁起
無明(無知、迷いの根本)
行  (身、口、意による潜在的形成力、生活作用、生活活動)
識  (識別作用、判断力)
名色(精神と肉体、心と物)
六入(六根と同じ、眼、耳、鼻、舌、身、意の6つの感覚器官)
触  (六根とその対象の六境が触れること)
受  (感受作用)
取  (執着)
有  (現実の人生の姿)
生  (生まれること)
老死(苦を代表させたもの)
 
この12縁起すべてがないということを表している。
 
⑥無苦集滅道 無智亦無得
 (むくしゅうめつどう むちやくむとく)
 
苦集滅道もない 智もなくまた得もない
 
四諦 → 「苦、集、滅、道」を仏教では4つの真理として四諦とよぶ
 
苦諦(くたい) → この世は苦しみであると言うこと
集諦(じったい) → 苦の原因を割愛(欲望と執着)とし
それは人間の無明によるものだとみること
滅諦(めったい) → 苦の原因である無明を滅して、
迷いのない理想の境地「涅槃」に入ること
道諦(どうたい) → 涅槃に入る方法を教えたもので八正道だとする
 
八正道 → 正見、正思、正語、生業、正命、正精進、正念、正定
 
とにかく、
ここの部分は仏教の教えを引用して、すべてのものは「無」であることを示している。
 
ここの内容は「寂聴般若心経」の本から引用していますが、何もないのではなく、無=無限大でもあると言えると思うのです。
量子的ゆらぎで説明されているようにね 
 
量子力学をもう少し詳しく知りたい人向けの本として、「ゼロから学ぶ量子力学」(竹内薫)がお勧めです。前回のマンガと同じ作者なんでわかりやすいですよ~
 
「宇宙が始まる前になにがあったのか?」という本でも
http://www.mlexp.com/lifesphere/chart01/chart01-02.htm
でも同じことを言っているので参考にしてもらえたら嬉しいです。
 
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
(いむしょとくこ えはんにゃはらみつたこ しんむけいげ むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう くきょうねはん)
 
得るものがないが故に 菩薩様は 般若波羅蜜多に依るが故に 心に罣礙(さまたげるもの)がない それがないが故に 恐怖もない
一切の顛倒夢想(ありもしないこと)から遠ざかり 涅槃に至る
 
菩提薩埵 = 菩薩
罣礙の罣 = 網のこと
 礙 = 障礙(しょうがい)の礙
涅槃 = 悟りの境地
 
三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
(さんぜしょぶつ えはんにゃはらみつたこ とくあのくたらさんみゃくsんぼだい)
 
三世(過去世、現世、未来世)の諸仏も 般若波羅蜜多に依るが故に 阿耨多羅三藐三菩提(この上なく真実な尊き悟り)を得る
 
阿耨多羅三藐三菩提 = サンスクリットの音訳
阿耨多羅 = 無上、最高 
三藐 = 正しい
三菩提 = 全ての智慧の集まり
 
天台宗の開祖「最澄」の歌
 阿耨多羅三藐三菩提の仏たち
わが立つ杣に 冥加あらせたまえ
 (あのくたらさまくさぼじのほとけたち
わがたつそまに めがあらせたまえ)
 
最澄が比叡山で歌われたと言われています。
 
あとは密教色が強くなるので、意味合いが少し違ってきます。
(おまじない的な内容に変わる)
無についてはここまでかなぁと感じています。
 
故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 
是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚
(こちはんにゃはらみつた ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ のうじょいっさいく しんじつふこ)
 
故に知る般若波羅蜜多は、是れ(これ)大明呪なり 是れ無上呪なり 是れ無等等呪なり
能く(よく)一切の苦を除く 真実にして虚し(むなし)からず 
 
だから、六波羅蜜の教えは、呪文の意味もあって、苦厄を除く真実のもので、すごいんだよってことを表している
 
呪文 = マントラ(真言)
マン=考える トラ=道具
苦痛や災難を除いてくれる験力のあることばのこと
 
この部分は密教色の強い真言宗(密教100%)や、天台宗(顕教と密教が半々)では受け入れらているけど、禅宗ではあまり受け入れらていない気がしています。
(因みに浄土宗は阿弥陀経を、日蓮宗では法華経をあげますので、般若心経はあげません)
 
弘法大師の説明
大神呪  = 声聞のとなえる呪文
大明呪  = 縁覚のとなえる呪文
無上呪  = 菩薩のとなえる呪文
無等等呪= 最上の呪文で、秘蔵すなわち真言にあたる
 
上の説明から呪文の違いが分かると思ます。
 
故説明般若波羅蜜多呪 即説呪曰 
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 
菩提薩婆訶 般若心経
(こせつはんにゃはらみつたしゅ そくせつしゅわつ ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか はんやしんきょう)
 
故に般若波羅蜜多の呪を説く 即ち呪を説いて曰く
<ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディー スヴァーハー>
のサンスクリットを音訳
これが般若心経だ!
 
真言は訳せないので、そのままを表記しているとされていて、前半の説明を真言で表しているのだと思います。
 
 
これで終わりますが、
なんとなく理解できたと言ってもらえたら嬉しいです。
 
私は意味を理解できたら、
その意味を追っていけば簡単に暗証できましたので、写経する人も多いお経ですから、是非ともこれをきっかけにして、何らかの解説本(マンガもある)を読んでくれたら本当にうれしいです。